自分が投票に行かなかったワケ 【2014衆議院議員選挙】

2021-09-13

日をまたいだのでつい昨日、衆議院議員選挙が行われました。

完結に述べれば、期日前・本投票とも自分は行きませんでした。前回は行きましたが。

ではなぜ行かなかったのか、書き出すとキリがないので、なるべく短くまとめていきます。

今回の選挙では一応アベノミクスの審判という名分がありましたが、大義名分ではありません。そのまま普通にやってくれればよかったのです。マスコミの誘導ながらなんとなく政治を変えたかった2008年時、そして最悪だと気付かされ、早く戻してくれと懇願する思いが募った前回。しかし今回はいろいろブレながらも安定はしていたなかでの突然の解散。信を問うもなにもとっとと進めてくれるのが一番いい。足の引っ張り合い、タヌキの化かし合い、本当にくだらないこの選挙というものは、ここぞという時以外は行わないでもらいたい。

税金の無駄とは言いません。真に無駄な税金の使い方なんて兆単位であるので、選挙費用700億自体はどうでもいい。議員定数は減らすべきですが、議員の給料はどうでもいい。もっと目を向ける所がありますね。叩きやすい給料というようなワードに流されすぎです。

少しズレましたが、まずなんでやってるのこの選挙、というのが正直な所。

そして第2に結果がわかっていたからです。自公の過半数。ここまで圧勝とは思いませんでしたが。
自分の選挙区では自・民含む複数政党が出ていましたが、特に有名な人もおらず、普通に組織票や固定票で自民でしょうと予想出来ました。個人的には次世代に入れたかったのですが、ギリギリのラインですらないなら行く意味が全くありません。ギリギリのラインだという予想があるならば絶対に行っていました。

そりゃそうです、当たらないのがわかってて穴馬に掛けますか、と。穴馬のほうがまだ当たります。江田照男ばっかり買ってればいいんです。

・・・またずれましたが、某宗教政党や強固な党のように、絶対入れる人達がいる以上、立ち向かうには無党派層で結託するほかないんです。しかし、投票所内で『無党派層ですか?これこれこういう理由で次世代の方がいいですよ』なんて触れ回れませんので、意味なし。それができたらいいなというわけではありません。

第3には、前回で失望したからです。第三極というのは個人的には胸躍らされました。みんな、維新、あのあたりに投票した記憶があります。結果どうか。やはりここのところの外交問題を見る限り、外交能力がない=新鋭政党 だと政権を取ってはいけないのです。自民が作った世の中、自民しか回せないようになってしまっているのです。まあもっといえば官僚がうんぬんみたいなところになってきますが。
自滅の第三極、自民しか担えない世の中、これでは投票意欲など沸き立ちません。

さらには、『とりあえず投票には行くべき』とシュプレヒコールをあげる思考停止の有名人たちとそれに感化された人たちの存在。ここは第2の理由につながってきますが、ギリギリのところなので1票でも大事、とかでもなければ本当に行く意味はありません。行ったことで罰金等あるなら別ですが。それでも『シッカリ誰かに決めて投票』みたいなことを言うんですが、いますか、候補が。
入れるまでもない自民、論外民主、宗教的で気持ち悪く耳障りのいいことしか言わない+政権批判しかしない少数政党、底が見えた第三極。自分の地区によっては、意欲のある無職属がいれば投票したかもわかりませんが、候補がないのです。選びようがないのです。
大人の権限を行使して満足、と鼻息が荒いのかもしれませんが、更に一段上の思考が必要なのではないでしょうか。

自分はある種自営業のようなもので自由は効きますが、いつまでアナログな選挙をしているのでしょうか。このデジタルの時代に。忙しいサラリーマンは期日前投票は無理です。土日は貴重なので外に出たくないか、行楽地で過ごしたいです。人間の時間は貴重です。貴重な時間を有効活用できるように“時短”を意識した商品やアイデアや発明がどんどんでてきているというのに、しがな休日のいち部分をこんなことで過ごさせようというのですか。もちろん第1の理由のように、大義名分のある選挙ならば構いません。進んでいきます。
加えて、デジタル時代ならば、ネット投票も可能でしょう。シリアルコード、トークン、あらゆる方法が想定できます。そこで出てくる天下り機関は我慢しましょう。5分でネットで済むなら、少ない可能性にかけて次世代に入れていました。

また、いつまで嫌いなやつを嫌いと言えない、好きな人に自由に投票できないのでしょうか。嫌いなやつ、不祥事が目立ったやつがいればバツを付け、ある程度の割合になれば仮に組織票が多かったとしても落選。これなら絶対に行きます。次世代以外にバツを付けたことでしょう。
そして昔であればインターネットもなかったので、地元の候補という存在が大事になってきましたが、今はテレビもネットもあります。遠く離れた地の好きな候補に入れたいことでしょう。そしたら田母神など、結果が変わった人物も多かったことでしょうね。選挙区+比例という制度そのものが、もう時代にそぐわないのです。もちろん地域それぞれの課題がありますが、それが気になるならそれに合った候補を選べばいいだけの話。

(ちょっと追記12/15)
加えて、ここは異端な意見なのを承知ですが、一人一票というのは果たして適切なのでしょうか。昔は、位が高いかどうかで投票権のあるなしが分かれていて、さすがに人権的にマズいので是正され一人一票となったわけですが、それは是正されすぎなのではないでしょうか。
というのも、老い先短く棺桶に片足を突っ込んだ老人と、これから何十年も生きていくはずの若者が同じ一票というのは、いささか疑問です。老人が逃げ切って若者に負担を負わせるような内容を支持し、若者は数の暴利で老人票にかなわない。新興国やイスラム圏のような人口ピラミッドならまだしも、日本は完全な高齢化社会。老人が若者のように元気なままでいられる薬でもあればいいんですが、実際はそうではなく、やはり苦労している若者が老人のせいで更に苦労をしています。ちょっとなんとかしなきゃいけないところに、いよいよ差し掛かっているのではないでしょうか。